History of Recordingのタイトル



第3回


★分身の術〜多重録音とマルチ・トラック録音


 さて、今回の History of Recording は、MTR 出現以前の多重録音とマルチ・トラック録音にスポットを当ててみたいと思います。今では多重録音もマルチ・トラック録音もMTRを使うのが当たり前ですが、MTRが現れるまでの約40年間、多くの人がMTRなしで多重録音やマルチ・トラック録音をおこなってきたことを再確認しようというわけです。

●原始的多重録音法
原始的多重録音
 それではまず、MTRなしで多重録音する方法を簡単に解説しておきましょう。知ってるかたは飛ばしちゃってください。ここでは、バッキングのギターが入っているテープにヴォーカルを重ねる方法を例にとって説明します。図を見てください。まず、ギターが録音されたテープを左側の再生用テレコ(PLAY)で再生してミキサーに送ります。ミキサーでは、このギターとヴォーカルをMIXして右側の録音用テレコ(REC)に送ります。これで右側のテレコにはギターとヴォーカルのミックスができあがったわけです。で、次はこのできあがったテープを左側の再生用テレコにかけて、同じように繰り返します。

 これを一般化して言えば、再生機と録音機とミキサーがあればいいわけで、マイク・ミキシング機能付きのダブル・ラジカセなら、1台でできちゃいます。また、再生と録音に同じ記録メディアを使う、という原則さえ守れば、再生や録音はテレコである必要もありません。たとえば再生はレコード・プレイヤー、録音はカッティング・マシンという組み合わせでもいいわけです。そして実際にテレコ出現以前はこの方法で多重録音をおこなっていたのです。ずいぶんと原始的ですが、結局のところ、1966年に AMPEX が SEL-SYNC 方式(後述)を開発するまで、多重録音はすべてこの方法でやるしかなかったのです。1967年のビートルズのサージェント・ペパーズだって、4トラックMTR2台でこれをやっていたんですから。

●サントラの先進性

 多重録音もマルチ・トラック録音も、早くからその必要性を感じ、なおかつそのための資本を投入できた業界 − つまり映画業界が先駆者です。映画の音、とくに歌入りのものは、セリフ、歌、伴奏、効果音の組み合わせで成り立っています。トーキー以降の映画というのは、これらの素材を適切にミックスしないと成立しないメディアなのです。複雑な音声編集作業に最初に取り組むことになったのは、映画の録音技術者だったわけです。たとえば1946年の映画 "The Harvey Girls" の挿入歌 "On The Atchison, Topeka, And The Santa Fe" では、20組以上の歌手やコーラス隊が1月から6月までの5回にわたって録音したものを編集して8分37秒の曲に仕上げています。歌手の出入りに従ってノイズの状態が変わるのが、編集の苦労を偲ばせます。これに限らず、映画サントラでは1曲の録音が2日以上にわたっているのは珍しくありません。もっとも映画の世界では、現場で撮影されたフィルムはあくまでも「素材」で、これを「編集」して初めて作品ができるんだ、という認識がありますから、音に関しても早くから同じ考え方ができたんでしょう。
That's Entertainment!  

 

◆That's Entertainment! / The Best of The M-G-M Musicals
                        (Rhino R2 72463)

◆"On The Atchison, Topeka, And The Santa Fe"を収録した
  コンピレーション・アルバム。40年代から50年代の録音が中心。

 映画におけるマルチ・トラック録音の例として有名なのは、1940年のディズニーの「ファンタジア」ですが、これは映画館の再生系までマルチ・チャンネルにした点が世界初なだけで、決してこれが映画界初のマルチ・トラック録音というわけではありません。たとえばMGMでは、30年代から50年代半ばまで、オケの各パートやヴォーカルを独立したフィルム(「アングルズ」と呼ぶ)に録り、これをMIXして最終的なモノラル・ミックスを作っていました。最近ライノ・レーベルが精力的にCD化を進めているMGM映画のサントラ・コンピレーション集に、その先進性を聴くことができます。たとえば、アカデミー賞を取ったMGMの映画音楽ばかりを集めたアルバム"Academy Award Winning Music from M-G-M Classics" を聴いてみてください。
Academy Award Winning Music  

 

 

 

◆Academy Award Winning Music from M-G-M Classics
                      (Rhino R2 72720)

 ドアタマの1939年の「オズの魔法使い」のメイン・テーマからいきなりステレオでビックリしますが、これは残っていたアングルズを利用してMIXしなおしたもので、復刻の魔法です。とは言え、映画館がステレオになればすぐにそれに対応できるフォーマットだったわけです。次の有名な"Over The Rainbow" では、モノでもしっかりした音質だったことが確認できます。この時代、映画は光学録音ですから、同時期のSPレコードよりはるかに音質は良好です。光学録音は、音声信号の変化を光の明滅に変換してフィルムに記録する方式です。映画の光学録音が始まったのは1920年代ですが、当初はノイズに悩まされ、他のメディアには遅れをとっていました。1920年代、もっとも音が良いのはラジオの生放送です。当時のSPの帯域が300Hz-1.5kHz程度だったのに対してラジオは150Hz-3kHzの「広帯域」を誇っていたのです。光学録音が、ラジオやSPを超える音質になるのは1930年代に入ってからと言えるでしょう。そしてテープ・レコーダーが実用化されるまでの約20年間、映画はもっとも音の良いメディアであり続けたのです。このCDでは当然ノイズ低減などの処理をおこなっているでしょうから、このCDの音が当時の音と思っちゃいけませんが、ここまでできる素材であることは確かです。

 もっとも、光学録音は現像が上がって来るまで結果が分かりませんから、録音現場での再生チェックができません。そこで、現場での録音バランスのチェックなどには、相変わらず16インチのトランスクリプション・ディスクが使われていたのでした。おそらくこのトランスクリプションは、録音フィルムにトラブルがあった場合のセーフティーとしても使われたんでしょう。

 ライノから出ているMGMコンピレーションはひととおり聴いてみましたが、今のところ一番古い「アングルズ」はジュディー・ガーランドの2枚組に入っている38年の録音でした。
Judy Garland  

 

 

 

◆Judy Garland / Collector's Gems from The M-G-M Films
                   (EMI 7243 8 54533 2 8)

 この種の古い映画サントラを聴いていつも思うのは、ヴォーカルの音質の確かさです。とにかくセリフが聞こえなきゃ商売にならない映画業界が、人間の声をいかにリアルに録音・再生するかに腐心してきた結果でしょう。

 一方、多重録音の分野でも映画は先駆的で、たとえば1931年の MGMのミュージカル "The Cuban Love Song" ではメトロポリタン歌劇場のバリトン歌手ローレンス・ティベットがすでに一人二重唱を聴かせているとのこと。ティベットは当時のMETの人気歌手ですが、MGMは彼を使ったミュージカル映画を何本も撮っていて、ティベットも初の主演作 "The Rogue Song" ではアカデミー賞主演男優賞候補にまでなっているのでした。なお "The Cuban Love Song" のタイトル曲など、この時期のティベットのサントラをいくつか聴いてみましたが、残念ながら一人二重唱は見あたりませんでした。ビデオも絶版なので確認は難しそうです。まぁ、興味のあるかたは探してみてください。私はもうこれ以上探しません。なぜって、私はベルカント唱法というやつが大嫌いなのです。まして男声となると、もうこれ以上聴くのは耐えられません。具合が悪くなりそ。一応、探すかたのために「ハズレ」をリストアップしておくと:

 この他にティベットのサントラは、DELOS のスタンフォード大学コレクション・シリーズのティベット篇(DELOS DE 5500)に入っていますが、ジャケを見る限り1935年以降らしいので買っていません。

●シドニー・ベシエ頑張る

 さて、気を取り直して、レコード業界のほうはどうかと言うと、ウチにある音源のうちもっとも古い多重録音ものは、ニューオーリンズ・ジャズのクラリネット奏者、シドニー・ベシエのもので、1941年4月18日、RCAの録音です。もちろんまだテレコはなく、ダイレクト・カッティングの時代ですから、レコード・プレイヤーとカッティング・マシンを使っての多重録音です。曲は"The Sheik of Araby" と "Blues of Bechet" の2曲。前者の場合、ベシエはピアノ→ドラム→ソプラノ・サックス→ベース→テナー・サックス→クラリネットの順で重ねて一人6重奏を完成させています。ベースをサックスの後に録ったのは、単に順番を間違えたんだそうな。後者はドラムとベース抜きの一人4重奏です。どちらも、他の曲に比べると音質の劣下はあきらかで、前者はテナー・サックスなんか鼻詰まりでテナーには聞こえませんし、ピアノもベースもかすかに聞こえるだけです。後者はダビングの回数が少ない分だけ多少はマシですが、ベシエはこれ1回で多重録音はやめてしまいます。まぁ、この音質では当然でしょう。あるいはその難しさにネを上げたのかもしれません。
Sidney Bechet Sidney Bechet
◆(左)Sidney Bechet / The Legendary Sidney Bechet (Bluebird 6590-2 RB) 仏BMGの2枚組。"The Sheik of Araby" と "Blues of Bechet"の両方を収録
◆(右)Sidney Bechet / The Complete Sidney Bechet Vol3/4 (RCA 07863 66607-2) 米BMGのベスト盤。"The Sheik of Araby" だけ収録

 この録音は、ベシエをRCAに引っ張ったRCAのディレクター/エンジニア、John D. Reid の発案だそうです。彼は以前、オーボエが入っていなかったコンチェルトの録音に後からオーボエを重ねて急場をしのいだ経験があり、ヴァイオリンの大御所ハイフェッツが2本のヴァイオリンのための協奏曲を録音した際にも、このテクニックを使って一人二重奏したとか。レコード業界でもすでに30年代から多重録音はおこなわれていたわけです。
 多重録音の原理は単純ですから、おそらく、探せばもっと古いところまでたどれるでしょう。鑞管蓄音器2台で多重録音した人がいても不思議じゃありません。

●パティー・ペイジとレス・ポール

 多重録音と言えば、レス・ポールの名前が真っ先に出てくるところですが、もう一人、同時期に多重録音でヒットを飛ばしていたパティー・ペイジもお忘れなく。パティー・ペイジの多重録音第1作は、デビュー間もない1947年、マーキュリーに吹き込んだ"Confess" です。もっともこれは実験精神ゆえではなく、単にこの新人歌手の録音にコーラス隊を雇うだけの予算がなかったからだそうです。この曲ではシンプルな一人二重唱ですが、これがチャート12位にまで昇るヒット作になったんで、彼女はその後も"With My Eyes Wide open I'm Dreaming" で4声コーラスまでやってのけ、1950年の「テネシー・ワルツ」のメガ・ヒットにつなげていきます。

 パティー・ペイジの録音は12月で、リリースは翌年5月1日。レス・ポールが最初の多重録音作品 "Lover" を録音するのも "Confess" と同じ1947年ですが、リリースは翌年2月23日ですから、レスのほうが一歩早く世に出たわけです。しかし、ヒットということになるとパティー・ペイジのほうが先んじていた、と言えるでしょう。そんないきさつからか、レス・ポールのパティー・ペイジへの対抗意識はなかなか強烈で、「こっちが本家だ」と言わんばかりにパティー・ペイジのカバー・バージョンを何曲も出しています。
The Patti Page Collection  

 

 

◆The Patti Page Collection / The Mercury Years Vol.1
                   (Mercury 314 510 433-2)

◆47年の "Confess" を含む、53年までの20曲を収めたアルバム。
  もちろん50年の大ヒット曲「テネシー・ワルツ」も収録

 レス・ポールもパティー・ペイジも録音にはアセテート盤を使っていましたから、やっていることは基本的に同じなんですが、レス・ポールのほうが音質といい凝りかたといい、やっぱり数ランク上です。パティー・ペイジのほうは、言ってしまえば、機械のかわりに人がやればそれで済んじゃいます。でもレス・ポールの場合は、機械なしには成立しない作品なのです。回転数を変えたり、再生用カートリッジをもうひとつ足してディレイ効果を得たり、といった彼の独創は、聴けばすぐ分かるユニークな個性をサウンドに与えています。

 レス・ポールは、キャデラックのフライ・ホイールをターン・テーブルに使った自作のカッティング・マシンで、こういった多重録音の実験を繰り返していたわけですが、このカッティング・マシンはすべてが彼の自作というわけではありません。心臓部のカッター・ヘッドは音響学の基礎を築いたことで有名なRCAのオルソンが作ってくれた物ですし、スピーカーはJBLの創立者ジム・ランシングが譲ってくれた物でした。こういった技術のプロ達との交流が、彼の優れたサウンドを支えていたのは間違いないところでしょう。

 レス・ポールの仕事を追うなら、何と言ってもキャピトルから出ている4枚組BOXセットですが、ウチにあったやつは誰かに貸してしまったみたいで見あたりません。なもんで写真が出せなくてゴメンナサイですが、かわりにこのBOXセットを凝縮した1枚もののベスト盤をご紹介しておきましょう。
Les Paul with Mary Ford  

 

 

 

◆Les Paul with Mary Ford / The Best of The Capitol Masters
                      (Capitol CDP 7 99617-2)

 これには前述の "Lover" も入っています。東芝から出ている日本編集のベスト盤も悪くはありませんが、傑作"Tiger Rag" が抜けているので、やはりこの輸入盤がお勧めです。パティー・ペイジの「テネシー・ワルツ」のカバー・バージョンも入っているので、パティー・ペイジとの聴き比べも楽しめます。

 レス・ポールの最初のテレコはビング・クロスビーから贈られた AMPEX #300でした。前回書いたように、ビングに初めてテレコを紹介したのはレスですから、そのお礼の意味もあったんでしょう。テレコを手に入れたレス・ポールは、さっそく今までやっていたディスクでの多重録音をテープでもやってみようとするわけですが、テレコは1台しかありません。冒頭の図のとおり、再生機と録音機がないと多重録音ができないのですから、これではどうしようもないような気がしますが、そこはレス、前回出てきたジャック・マリンに相談して、消去ヘッドの前に再生ヘッドをもう1個追加して多重録音を可能にしてしまったのです。たとえ録音モードでも、消去ヘッドを通るまでは以前の音が消されないことを利用するわけです。
 おっと、これだけじゃ、今のテレコに慣れた人にはイメージが湧かないかもしれませんね。たとえば冒頭の、ギターが録音されたテープにヴォーカルをダビングする場合を例にとって説明してみましょう。
 

1:ギターが録音されたテープをテレコにかける
2:テレコを録音モードで回す
3:ギターの音を消去ヘッドの前の再生ヘッドで再生し、卓に送る
4:卓でテレコからのギターと、それに合わせて歌うヴォーカルをMIXし、テレコに戻す
5:ギターは消去ヘッドで消され、かわりに卓から来た音(ギター+ヴォーカル)が隣の録音ヘッドで録音される
 
という段取りです。つまり追加した再生ヘッドを再生機として使い、消去ヘッドと録音ヘッドを録音機として使うわけです。この方法はむちゃくちゃリスキーで、一度でも間違えばそれまでの録音が全部パーになってしまいます。ディスク方式なら、たとえ失敗してもその前の段階のディスクは残っているわけですから、そこからまた始められます。しかし、音質でも編集の自由度でも可搬性でもディスクに勝るテレコを、どうしてもレスは使いたかったんでしょう。こうして苦労の末録音されたテープ・レコーダーによる多重録音第1作が50年9月にリリースされた "Goofus" です。この曲はベスト盤には入っていませんが、ベスト盤では"How High The Moon" でこの多重録音の成果を聞くことができます。前代未聞の12回ものオーバーダビングの末に完成したこの作品は、他の録音と比べてイントロからあからさまに音質劣下が聞き取れますが、音を厚くしてもスピード感やドライブ感が活きているところが、さすがレス・ポール。この改造AMPEXは、ポータブルと呼ぶにはクソ重いテレコですが、とりあえず車に載せることはできますから、ポータブル多重録音システムの元祖でもあったわけです。

 MTRの元祖は、レス・ポールが AMPEX に特注した8トラック・テレコ #300-8だったのは周知の事実です。時は1957年。原型は AMPEX の7chデータ・レコーダーでした。一般には、テレコ1台でのオーバー・ダビングは、1966年、AMPEXがシンク・ヘッドを使った同時録再機能 "SEL-SYNC" を開発するまで待たなくてはなりませんが、この特注テレコはその原型になったのです。シンク・ヘッドは、録音ヘッドを一時的に再生ヘッドに切り換えられるようにしたもので、これを使えばたとえば、トラック1を再生しながら、同じ位置のトラック2のヘッドで録音することができるのです。
 #300-8は、価格が1万1千ドルという高価な物だったので、ほとんど売れませんでしたが、2台目はフランスの映画会社が、そして3台目はアトランティック・レーベルがその年のうちに買っています。当時のアトランティックの録音部長は有名なエンジニア/プロデューサーのトム・ダウド。レスの友人だった彼がアトランティックを説得して買わせたのでした。MTRを導入した最初のレーベルは意外やアトランティックだったのです。ちなみにレスと最初の奥さんバージニアとの間に生まれた次男、ジーン・ポールは、アトランティック・レーベルでカーメン・マクレエの72年の優秀録音ライブ・アルバム「グレート・アメリカン・ソングブック」などを録っているエンジニアですが、この辺の縁からでしょうか。

 一方、キャピトルに移る前のDecca時代(1936-47)のコンピレーションも最近MCAから2枚組CDで出ています。こちらは多重録音を始める前なので、直接今回のネタとは関係ありませんが、ヴォーカリストとしてのレス・ポール(Rhubarb Red名義)の珍しい録音も収められていますんで、ついでにご紹介しておきましょう。しかしRhubarb Redとは妙な芸名ではあります。ルバーブというのは漢方薬にも使われる大黄(ダイオウ)という植物のことで、あちらでは茎をジャムにしたりもしますが、根っこを下剤として使うほうが有名です。その根っこに近いほうは赤いので、ルバーブ・レッドと聞けばみんな下剤を連想するのです。実際には、レス・ポールに初めてギターを教えたパイ・プラント・ピート(パイ・プラントはルバーブの別名)というミュージシャンの芸名と、レス・ポールの少年時代の芸名「レッド・ホット・レッド」を組み合わせて作ったんだそうですが、それにしても、ですね。
Les Paul on Decca  

 

 

 

◆Les Paul:The Trio's Complete Decca Recordings Plus [1936-47]
                  (MCA MCAD2-11708)

 とは言えこのCD、レス・ポールお得意の超高速フレーズ満載の「黒い瞳」なんかでピアノと高速でユニゾるところや、アンドリュース・シスターズとの共演など、後の多重録音時代の響きの原型があちこちに現れてなかなか楽しめます。ギターのフレーズ自体はもう全部この時代に出来上がっていますし、曲にしても、このアルバムに収められたアーサー・スミス作の"Guitar Boogie" は、rit.して終わるエンディングに至るまで5年後のオリジナル"Mammy's Boogie"(BOX セットに収録)そのものです。もっともレス版は、ほとんどシーケンサーのような機械的なフレーズが駆け巡る、当時としては恐ろしく斬新なものですから、充分にオリジナリティーはありますが。あんなものが50年代のラジオから流れて来るのを想像するとかなり不気味なくらいです。なお、ジャケットの元になった写真ではマイクにハッキリNBCのロゴが写っているんですが、このジャケットではロゴが消されているのが、権利関係にうるさいアメリカらしいところ。

●デル・カッチャーの珍盤

 ヒット作には必ずイミテイターが出現するものですが、レス・ポールの場合は、機材まで手作りだったこともあって、ほとんどイミテイターが現れませんでした。数少ない例外はボブ・サマーズでしたが、彼は実はレス・ポールの相方メリー・フォードの弟で、レスのハリウッドのガレージ・スタジオで、レスの機材で録音したものなんで《反則》です。このボブ・サマーズ、ビル・ホルマンのビッグ・バンドなんかでトランペットやフリューゲルホーンを吹いているボブ・サマーズと同一人物なんでしょうか? ライノ・レーベルの子供向けディビジョン Kid Rhino レーベルで、プロデューサー兼ミュージシャン兼エンジニアまでやったりしているので、そんな雰囲気濃厚なんですが。

 そんな中で、10年以上経ってから日本で録音されたアメリカ人ギタリストの一人多重録音という珍妙なものがあります。それは1961年に日本ビクターから出た10インチLP「マジック・ギター・サウンド」で、アーティストはデル・カッチャー(Del Kacher)です。デル・カッチャーはムード・ミュージック・ファンにはお馴染みのスリー・サンズ後期のギタリストで、1959年に来日し、その折に知り合った日本女性と結婚しています。その新婚旅行で再度来日した折に作られたレコードがこれなのですが、1961年ですからまだ SEL-SYNC はなく、2台のテレコのピンポンMIXでしょう。
マジック・ギター・サウンド  

 

 

 

 

 

◆マジック・ギター・サウンド (日本ビクター LV-229)

 曲は「オール・オブ・ミー」や「黒い瞳」といったスタンダードの他に「東京ドドンパ娘」とか「誰よりも君を愛す」「無情の夢」といった歌謡曲も含む全9曲。ま、ハッキリ言ってギターの腕はあまり上等じゃありませんし、レス・ポール的特殊効果が聴けるわけじゃないので、無理に中古屋を探すほどの盤じゃありませんが、本家レス・ポールと聴き比べるとレス・ポールの凄さが再認識できる、という点で面白いアルバムです。やってみれば分かるんですが、ドンカマなしの一人多重奏は、バックとのタイミング合わせが難関で、このアルバムでもあちこちでコケています。

 こうやって、MTR以前の先人たちの足跡を辿ってみると、MTRがなくても工夫次第でいろんな可能性があることが分かります。また、今のMTRでは出しにくい《音のダンゴ感》なんかも、こういった手法で作れるわけです。MTRでの制作になんか限界を感じているかた、こんな方法、試してみたらどうですか?
 だば、また!
 

目次に返る