虫返しコーナーのタイトル

ホットな事件を斜めに見れば

−−やっぱし、世紀末なのだろうか?−−


 そりゃね、どっかのフツーのオバサンが,死んだとたんに聖女に祭り上げられたとしても、私にゃ関係ない。ただそれだけなら、予告通りに「JAL123便事件」を、これは本当に真面目に書いていたはずなのです。ところが、この暑くてうっとうしい時期に、唖然とするくらいアホな事件が起き、一面的な見方で大報道された。ほぼ同時期に、人類全員が心から考え直さなければならないほどの悲しい出来事があり、それは「大報道」の陰でベタ記事なみに扱われた。そして今、本来なら両極端であるはずのふたつの事件は、あるひとつのキーワードでいっしょくたにされようとしている。ふたつの事件とは、プリンセス・ダイアナ(以下「ダイアナ」)の死と、マザー・テレサ(以下「マザー」)の死。そしてキーワードは「弱者の救済」。

 連載の1回目から「虫返し」ではなくて申し訳ないが、「ダイアナの死」というハヤリものについては、今書くしかないのでお許し願いたい。ことに世界中のマスコミが、NFLのプロボウル以上の熱心さでニュースを流しまくっている今現在だからこそ書ける原稿。あと半年もすれば,今テレビに見入っている人の99%が「そんなこともあったな」になってしまうだろうから。

■イギリスの大衆紙を、他のメディアは批判できるのか?
 ダイアナが死んでからというもの、各国のテレビ・メディアは哀悼、追悼、犯人探しで大騒ぎ。地球の反対側の日本でも、NHKのBS7chなどは、自分の国の皇族が死んだような報道体制で、葬式の生中継までやってくれた。日本人は、それほどダイアナに、常日頃から関心があったのだろうか? ダイアナは、それほど日本人に愛されていたのだろうか? あきらかに過剰報道、報道雪崩、不要な興味の喚起……煎じ詰めれば「のぞき見趣味」だ。NHKの生中継は民放のワイドショーと同じレベルか、それ以下でしかない。葬式の最中に平然とプロ野球を放送していたフジTVは、私が一番嫌いな局ではあるけれど,今度ばかりは「偉い!」と褒めたくなったものだ。
 さらに煎じ詰めるなら、各国のテレビ・メディアの報道姿勢は、生前のダイアナを追っていたスキャンダル新聞と、発想の根底ではまったく同じに見えた。グシャッとつぶれたベンツを繰り返し映し、その日の行動を検証し、知人との「最後の会話」を探しだし、一般人のコメントを拾う。また一方では、彼女をあの事故に「追いやった」英王室の冷淡さを批判し、追っかけカメラマンの悪どさをしつこく強調した……これまで「サン」がやってきたことと、どこが違う?
 英大衆紙と一線を画しているような顔をしている「一流」メディアも、結局は「お祭り」大好きの軽薄さにおいては、タブロイド新聞と変わるところはない。いや、視聴者や読者がケタ違いに多いだけ、悪質さ加減では上を行くだろう。
 乱暴に言ってしまえば「マスコミはみな同じ」。騒ぎがあればあくまでも便乗し、要らぬことまで垂れ流す。騒ぎがなければ、どうにかして見つけてくる。しかし、米国が国連軍の名を借りて行なった湾岸侵略(一方的な戦闘行為なので「戦争」ではない)でも露骨に見られたように、「強い奴ら」に都合の悪い情報には口を固くつぐんでしまう。メディアは「米軍将兵の死傷者数」を大々的に発表したけれど、米軍の爆撃によってバグダッドで殺された子供の人数にはまったく触れなかったし、今でも触れない。それがマスコミの本質だ。
 言って見れば「強い奴ら」には痛くも痒くもない騒動こそ、マスコミがもっとも好む対象といえる。その点、ダイアナの死は、「強い奴ら」の中ではハロッズのオーナー一族が傷つくだけで、しかも一族はアラブ系だから、最良のネタであった。これがユダヤ系だったら話は違っていたかもしれない。

■ダイアナは、なぜ大衆紙の「人気者」だったのか?
 人が死ぬのは,どんな人であれ、どんな死に方であれ、悲しい。その意味ではダイアナも気の毒だとは思う。しかし、少なくとも私は泣けない。「へぇ、そうかい」と思うだけだ。少し言葉はキツいけれど、端的に理由を書くと……身持ちの悪い、わがまま女が、男遊びの果てに、ベッドの上では死ねず、パトロンといっしょに道路で野垂れ死んだ……だけの話だからだ。これまたメディア報道とは逆の意味で一面的な見方だと思う人もいるだろう。でも、私にはそうとしか思えない。
 彼女は歴とした大貴族の娘。それだけでも英国では「追っかけ」の対象にはなるだろう。それが皇太子と結婚した。一般に、女性が結婚して夫の家に入るには、やはり「それなり」の覚悟が要ると思う。まして王室に入るのだ。次代の王妃になるのだ。覚悟の程度は、我々平民とは雲泥の差であろう。それまでの「私」を捨て、別の人格になるくらいのことは考えておかねばならないはずだし、結婚後は新しい「私」を貫き通さなければならない。ことに子供が産まれたなら。ま、ダイアナも最初は大覚悟をしていたと好意的に考えてもいい。
 ところが結果として彼女の覚悟は破産した。子供を2人もこしらえておいて、夫と競っての浮気合戦。王室が気に入らなければ、浮気などせず、正直にただ別れればいい。それでもスキャンダルではあろうけど、暴露本や盗撮などで無用な恥はかかないで済む。子供の存在を考えるなら、母としてそうすべきであった。実際は、あるいはヤケクソだったのかもしれないが、母としてではなく見栄っ張りな女としてキンキラに振る舞った。
 カメラマンたちがダイアナを追いかけたのではない。ダイアナが追いかけさせたのだ。公的な立場の人物がヘンなことばかりしていれば、誰だって興味をもつ。少なくとも注目はする。マスコミがそれを報道して、どこが悪い? たとえば日本の総理大臣が二号さんとモメて、それがバレたら(たしか、そんな人、いましたね)フォーカスされても致し方ない。
 私が彼女を許せない最大の点は、2人の子供に対して、あまりに鈍感だったこと。「父ちゃんと母ちゃんは二人とも浮気して、それで喧嘩になって離婚したよ。それだけでもイヤなのに、母ちゃんは相変わらず新しいボーイフレンドと遊び回っている」くらいのことは、15歳と12歳なら充分にわかる。
 離婚したら「尼寺へ行け」とまでは言わないけれど、もう少し身を慎むべきだったのではないか。金持連中と社交界でハデに自分を露出しておいて,「プライバシーが無い」もないだろう。彼女が実家なり静かな住まいに住んで、落ち着いた生活を送っていたら、いや、せめて男出入りがなかったら、決してこんな事件にはならなかったろう。
 ダイアナは調子に乗りすぎていた。離婚したら普通の貴族に戻ればいいのに、自分を流行モデルか何かと勘違いしていたのではないか。追っかけられて当然だ。

■慈善事業と偽善事業
 現在、ダイアナのプラス面の評価(事実上、マスコミでの評価はプラス面だけ)は「多くの慈善事業に参加した、弱者救済に協力した」ことだろう。これが、私には非常にクサく見える。新聞報道によると、彼女は「近々、地雷の問題から手を引く」と誰かに語っていたそうだ。本心から地雷被害者の救済に関わっていたら、「手を引く」なんてことが、そう簡単にできるものだろうか? 彼女は、いろんな慈善事業や救済活動に金をバラ撒き、「良い人」のポーズを実体化させたかっただけなのだと思う。
 慈善事業・救済活動への参加は、別にダイアナの専売特許ではない。たとえば米国のメジャースポーツ・プレイヤーは、必ず何らかの活動をしている。NFLのQBなら「タッチダウンパスが通ったら、1本につき1000ドル」とか、MLBでは「ホームラン1本で1000ドル、ヒットは100ドル」なんて決めて、貧困層の子供たちに金を送っているプレイヤーが大半だ。あるQBは自分の金で子供たちの育英基金まで作ってしまった。また、あるキッカーは、オフ日には地域の奉仕活動に専念している。スーパースターが道路掃除をしているのだ。彼らにとって、それはごく普通のこと。だから、そういう活動を一切しないNBAの某ジョーダンという人は非常に評判が悪い。
 ダイアナが出した金、スポーツ・プレイヤーが寄付した金、たしかに紙幣には寄付者の名前は書いてないから、結果としては同じように見える。でも内容は全然違う。スポーツ・プレイヤーは自分の身体ひとつで、時には命をかけて稼ぎ出した金を寄付している。名前は書いて無くても、プレイヤーの汗くらいは付いているだろう。一方ダイアナの出した金は、額に汗し、手を汚して稼いだ金ではない。離婚以後、彼女がどこかで、お金を得るために労働したことがありますか? 英王室からもらう、使い切れないほどの「お手当」や、もしかするとボーイフレンドから貢がれた金で「慈善」していたに過ぎない。もしも私やアナタが彼女の立場であっても、まるっきり同じことができる。だって、生活に金銭面の不安はなく、働かなくても定期的に大金が入ってくる保証があるのだから、手持ちの金を誰かにくれてやるのは、実にたやすい。言いようによっては、そういうのを「金持ちの道楽」という。あるいは「雲の上からの立ちしょんべん」ともいう。
 要は心の在り方だ。ポーズではない。真心のこもらない100万円より、真心のこもった100円の方が格段に尊いと思う。気の毒な子供をいたわるダイアナの写真を見て幻惑されてはいけない。彼女は施設廻りの帰りに、高級レストランで、子供10人が手術を受けられるような金額の食事をするのだろうから。(これは比喩です。念のため)

■9月5日、マザーが死んだ
 マザーについては、今更説明するまでもないだろう。ダイアナと同じ英国人だがインドに帰化している。18歳で修道会に入り、独立前のインドに渡った。学校の先生を経て、カルカッタのスラム街(多分、世界最大・最悪のスラム)に入り、約70年間、弱者のためにすべてを捧げてきた。修道女だから私物や自分の金を持たず、まさに自分の命ひとつで活動していた。マザーにとって、活動はマザー自身の「生きる」と完全に重なっていたと思う。私には、聖フランチェスコに一番近い人のように見える。
 有名な話として、マザーがノーベル平和賞をもらったときのこと。推測するに、マザーは、どこかの国の総理大臣みたいにノーベル賞を欲しがったりしなかっただろう。でも、ちゃんともらった。賞金が付くからだ。(ノーベル賞自体も、実は相当にいかがわしい。選考基準がさっぱりわからぬ) マザーは賞金の全額を活動に当てた。さらに、通常は大々的に行なわれる受賞パーティも断わって、その経費分をキャッシュでもらって活動費に回してしまった。とにかく大悟徹底。宗派は違うけれどマザーこそ「仏」だと思う。間違ってもパリのリッツホテルで食事はもちろん、お茶を飲んだこともなかったろう。
 マザーの死を知ったのは9月6日朝のNHK衛星放送「世界のニュース」。私はコルトレーンが死んだときと同じくらい悲しかった。(この表現、あまりに私的すぎてわからないでしょ。ごめん)
 「世界のニュース」は、その名の通り、世界各国の(NHKの基準で選んだ)主要放送局のニュースを、これまたNHKがNHKの判断で編集して流す番組。だから、どれだけオリジナルの番組に近いかは不明だが、当日朝の各局のニュースは、ごく一部を除いてダイアナ一色。マザー関係は、時間的にはダイアナの1/10程度であった。各局のオリジナルがそうなのか、NHKがそうなのかは知らないけれど、やっぱりマスコミは本質的に野次馬なのだ。スキャンダルが大好きなのだ。
 慈善事業に「参加」し、病院で子供の患者に微笑みかけるダイアナの映像のすぐ後にマザーのニュースをつなげて流せば、視聴者が「ふたりとも同じように良い人」と錯覚しても不思議ではない。こらメディア、紛らわしい番組を作るなッ! いっしょくたにしちゃ、絶対にいけないんだよ。
 マザーが旅立ってしまっても、この世には「救済されるべき人々」は残っている。いや、増え続けている。マザーの不在によって救援活動が不活発になるとしたら、それこそ天国か西の方かで、マザーは悲しむに違いない。その意味でいったら、マザーの死亡報道は、ナンセンスなスキャンダル報道の陰に隠れて、短ければ短いほどいいのかもしれない。ダイアナのニュースの後になら、放映されない方がマシかもしれない。と、理屈にもならない理屈。

■そして一番気になること
 どんなに小さな新聞記事でも、どんなに短いニュースでも、見る人は見る。いくら大々的に報道しても、スキャンダル報道は時間の中で必ず消えて行く。今日(8日)、英国首相(労働党だぜ)が「ダイアナ基金」なるものを創設すると発表した。いつまで続けられることやら。
 本物とエセは、時間が結果を出してくれる。だから実のところ、長い目で理性的に考えれば、それほど腹の立つことではない。なら、どうしてこんな記事を書いたのか……ダイアナ持ち上げ報道一色の中で、「事実のもう片面」を指摘し、「本当の奉仕って、金持ちの道楽ではないんだ」と言いたかったからだ。また、救済する側が「プライド臭ふんぷん」では、救済される側があまりにも惨め。どちらの側も同じ地平に立って、初めて救済活動と言えるのではないだろうか、とも思うからだ。
 私自身は、自分のできる範囲で、自分が納得したいろんな活動に参加させてもらっている。決して無理はしない。無理したら長続きはしないから。納得できない活動には一切不参加。たとえば、会計が不透明な「赤い羽根」には参加しない(ボーイスカウトが参加するので、スカウトの面倒を見るために、一緒に立つことは立つが)。24時間テレビは決して見ない。遊び半分ではないからね。
 最後に、一番気になっていること。上にも書いたダイアナの息子さんたちのことだ。彼らには一切罪はない。でも彼らが超鈍感でないかぎり、今回の事件にはとても苦んだはず。私自身2人の息子がいるから、とても他人事とは思えない。親の失態・醜態を、子供は敏感に感じ取り、我がことのように思い悩む。誰が、どう、彼らをケアするのだろうか。「大きなお世話」と言われりゃそれまでだが。

 まとまりの悪い記事で申し訳ない。次回はいくらか「まとまり」のある内容で書けるでしょう。ただ、主観的にしか書けないのは次回も同じです。意味のある記事に「絶対客観」は不可能ですし、だから居直って、10年ほど前から主観の排除は原則としてヤメています。こんな調子で続けるので、来月もよろしく!

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